2017年4月25アップ          かずのり&じゅん子  

諸般の事情により『節酒は出来ないが断酒はDEKIRU』を移転しました。体力の続く限りこのホームページを継続しますので、今後とも宜しくお願いします。        初代ホームページ 2003/10/18アップ          2018年8月31日更新                        

ちぎりえ        けいとう       じゅん子作

 10月は今も昔も変わらず、秋祭りの季節です。


 47歳で、寝たきりの母が、寒い1月に天国に逝ってしまい、16歳の私は、
一番大泣きした事を、この歳になっても忘れる事は出来ません。

 生前に、母は私の知らない間に、おめしの着物と、長じゅうばん、名古屋帯を作ってくれていました。15歳の時、秋祭りに「着物を着てお宮に行く」と言う私に、兄はカンカンになって怒りました。「お前はお母ちゃんがこんなに悪い(病気)のに着物着てお宮に行くんか!」と怒鳴り、私が泣きベソをかいていると、母は蚊の鳴くような声で「ええがな、せっかく着物作ったんだから、これ着てお宮に行っといで」と言ってくれましたが、私の心はとまどってしまい、結局は、母に晴れ着を着て見せる事は出来ませんでした。

 私が兄に逆らえなかったのは,その時だけでなく、もう何年も私と、三歳下の妹への、今で言う虐待です。
殴る、ける、ゲンコツが飛ぶ、自分の手が痛いとほうきの柄でなぐられ、頭のたんこぶが7つ8つがざらにあり、手も足もいつもアザだらけでした。
 今笑い話で、妹と「たんこぶをお互いに数えたね」と話せますが、あの頃の私は毎日が地獄で、かまどで炊くご飯が焦げても、味噌汁が辛くてもげんこつ。鍋を洗い忘れたら大きな足で寝ている私の頭を蹴飛ばし、怒鳴りまくられ、冬でも井戸水を汲み外の寒い流しで、それも月の明かりで、泣いて洗っていました。
 この事を、母は全部知っていたと思います。宿題忘れたとか、通信簿が悪いならこれは叱られてもしかたのないことでしょうが、ご飯食べてても「お前のふーふーする息が掛かって汚い」と言うし、横を通る時もイヤなようでゲンコツがくる始末で「兄ちゃんは、私たちが此処にいるのが憎いんだ」と思っていました。
 一番辛かったのが生理の時、今の様に水洗トイレではありません
「汚い、いつまであるんなら!」この時、私は女である事を怨みました。

 そんな長い日が過ぎて、母は、私の手をにぎり「順ちゃん、順ちゃん」と呼びながら息を引き取りました。もう目が見えていなかつたと思います。
スイセンの花が満開で、梅の紅色が辛かった。

 葬式が終わり、親戚の人達が帰り、父は行商に出て行き、家に三人残りました。薄暗くなる頃、兄がポツリと一言「明日からお兄ちゃんは優しいお兄ちゃんになるから」私はその言葉の意味が解らずキョトンとしていました。
 
 次の日から兄が180度変わった。いままでの兄と別人の様に優しく穏やかで映画や、鷲羽山に連れて行ってくれるし、欲しい物も買ってくれる優しいお兄さんになったのです。
 兄の心境などわかりません。最近になってから気が付いた事ですが、兄が産れて直ぐ、父親は、召集令状が来て中国へ行ってしまい5歳になるまで父親の顔を知らないままで母親だけで育てられていた所に、父親が現れ、私と妹が出来て、おまけに父親が、私たち二人をすごく可愛がってくれていた事が、兄には、堪らなかったのだと思います。
 そして、行商から帰ってきた父親に寝たきりの母が言いつけます。そして、兄を叱っていたので、私達に八つ当たりしていたのではないかと考える様になりました。

 長い間の酒地獄の中で、虐められていた分、迷惑を掛け続けてきた私ですが、兄はどんな気持ちで暮らしていたのかと思うと、逢えるものならもう一度会って積もる思いを語り合いたいと思うこの頃です。