赤ちゃん

  お腹の中に赤ちゃんがいると知ったとき人生が変わった
この世で一番幸せな子供にしよう
この世で一番優しいお母さんになろう
人生が変わった
「私には私がいる」
だから寂しくない 大丈夫
ずっとそう思って生きてきた
「私にはこの子がいる」

私の全てが変わった
「この子の為に・・・」
愛情を知らない
人を信じない
自分はいったい何をしにこの世に生まれてきたのかわからない
全てが解決出来ると信じてた
信じたかった
21歳の冬だった

満足していた
寂しくなったり悲しくなったり不安になったら
お腹に手をあてる
この膨らみは確かだ
私の中に一つの命がある
「寂しくない、悲しくない」

お腹に手をあてたまま毎日眠った
朝起きて一番先になにより先にお腹に手をあてた
この膨らみは確かだ
 
 主人の遺骨に手を合わせた

「パパ、立派なお母さんになるからね」
写真の中の主人が笑った
私も安心して少し笑った
朝ご飯を食べるのが苦手だった
そんな習慣子供の時からなかったので
朝ご飯を食べるのは苦痛で仕方なかった だけど今は違う
「お腹の赤ちゃんが腹減るから食わなきゃいかんぞ」 主人がそう言ってた
 少しだけ食べたら気持ちが悪かったけど必死に飲み込んだ
気持ち悪くて涙が出た
 吐きそうだった
目をつぶって我慢した
「やっぱり無理するのはやめような」
主人が言った
「赤ちゃんがお腹すくと大変だから」
私が言った
「俺がずっと傍にいる、もう大丈夫やからな」
主人が抱きしめてくれた

 主人も泣いてた「お腹の赤ちゃんがつぶれちゃうよ」
力一杯抱きしめる主人に私が言った
「食べる」という人間の本能の行為ですらまともに出来ない私
「食べ物の障害」と医者に言われた私
でも主人がいるから怖くなかった

 そんな事を思い出しながら朝ご飯を作った
 一人でご飯を食べるのが嫌だった
向かいの席に主人の分の朝ご飯も用意してみた
 少し安心した
モソモソとご飯を食べた
 気持ちが悪かった
でもこの気持ち悪いのはつわりのせいなんだ そう思うように心がけてた
「食べ物の障害」 そんなけったいな病気私がなってたまるか認めたくなかった
 気持ち悪くて泣きながら一時間かかって朝ご飯を食べた
「赤ちゃんも一杯ママのご飯食べや」
お腹の子に話しかけた

 どこまでも不安定な若い母親だった
 その不安定さに本人だけが気付いていなっかた

「日本一優しいお母さんになりたい」
それだけしか夢がなかった少女が
 今、母になろうとしてういる

「パパ、ご飯全部食べたよ」
「おっ!やるなぁ!浩美はえらなぁ」
写真の中の主人の声が確かに聞こえた
 私には確かに聞こえた  

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 鍵の音

 お父さんが今日も帰らない
お母さんが今日も酔っぱらってる
私は今日もお母さんのお酒に付き合わなくちゃいけない
妹は今日も二階で逃げる準備をしてる
今日も昨日もそしてきっと明日も私たちはこうやって暮らしていく
それが私たち家族なんだ
 
 お父さんが帰ってきた
お母さんがお父さんに大きなバケツに貯めた水をかけた

 

お父さんが怒鳴った
お母さんがお父さんにつかみかかった
妹が二階の踊り場から見下ろしてる
妹の目は見てるようで何も見えてない
妹の目は見えてないようで本当は全部見えてる
「この子にだけは見せちゃいけない」
それだけしか思わなかった

 

 階段を駆け上がった
小さな家の短い階段を駆け上った
二階の廊下で妹が小さくなって座ってた
息を切らしながら妹に声をかけようとした
でも息が切れてるせいか声がでなかった
下の部屋から怒鳴り声や何かの割れる大きな音がする
妹は座ったまま動かない
私は立ったまま声が出ない
ほんの数秒の時間のはずなのに長い時間に感じた
やっと私の息が整った
「まりちゃん・・・」妹に声をかけた
妹が黙ったまま私をうつろな目で見上げた
「逃げるよ・・・」

 

 妹の手を握った
妹が嬉しそうに微笑んだ
二人で手を握り合って階段を駆け下りた
音がしないように階段を駆け下りた
裸足で逃げた
家の外にもお父さんとお母さんの喧嘩の声が聞こえる

 

 何かの壊れる音がする
お父さんとお母さんに殴られるのが怖かったんじゃない
その時の私の体は自分の都合のいいように変化していた
痛みをなぜか感じない体になっていた
だから殴られても全然平気、全然痛くなかった
いくら殴られても苦しまない私を見て
頭に血が昇ってるお父さんとお母さんが
「気色の悪い子」と言う

 

 「あんた達がいるから離婚できない」と言うそんな事私にはどうでもよかった
ただ妹だけにはその言葉を聞かせたくなかった
だから私は妹とどこまでも逃げたかった

 

 隣の家のドアを叩いた
玄関の明かりがついた
「おばちゃん、開けて・・・」小さな声で私が言った
鍵が開く音がした
助かると思った
でもドアは開かなかった
私の住んでる住宅地は防犯の為 本鍵と予備鍵が二つ付いてる
鍵が開く音と思ったけど実際は予備鍵が閉まる音だった
隣のおばちゃんはとても親切な人だ
そのおばちゃんが家にいれてくれないとゆう事は
多分どこの家に行っても鍵は開けてもらえない
鍵の閉まる音は妹に聞かせたくない

 

 裸足で妹と歩いた 
開拓途中の新興住宅地には空き地もあるし立ちかけの家もある
棟上げが済んだばかりの家に入って大黒柱に妹ともたれかかって座った
「もうちょっとしたら家に帰ろうね」私が言った
「お姉ちゃんありがとう」って妹が言った「お父さんもお母さんもいらない、
お姉ちゃんだけが大好き」妹が笑った

   こんな時に笑う妹が愛しかった

「寒いね・・・」私が言った
「おねえちゃん・・・」妹が言った
「何・・・?」私が言った
「私の傍にずっといてよ」妹が言った
「まりちゃんの傍にずっといるよ」私が言った
妹がまた嬉しそうに笑った
なんで笑うのか私には分からなかった
分からないから妹を抱きしめた
抱きしめながら目をつぶった
長い時間妹を抱きしめた

 

 それから何年かして
私がアルコール依存症者になることも
妹がそんな私の前から姿を消すことも
何も知らなかった ずっとずっと私と妹は一緒にいれると思ってた
ずっと私は妹を抱きしめて生きていけると思ってた

 

 会えなくなる日が来るとは考えもしなかった
信じてた
私が12歳
妹が9歳の冬の晩の事だった

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 彫り師
中学校に上がって友達がたくさん出来た
バスケットボールのクラブに入部した
知らない女の先輩が毎日私のクラスまで来て遊んでくれた
ラブレターをもらった
毎日毎日元気に学校中を走り回った

元気でよく笑う小さな女の子
それがみんなの私に対するイメージだった

 

 時々怖い先輩に「髪の毛染めてんなよ!!」って平手打ちされたりもしたけど
そんな事どうでもよかった

 

私は毎日疲れていた

クラスの女の子が「ピアス開けたら親に叱られた」と、ある日私に言った
「親にもらった大切な体に穴を開けるとは何事ぞ!」って叱られたと言った
「ふ~ん・・・」って私は答えた
「うるさいよね・・・」友達が答えた
二人で少しの間黙って外を見てた

 

「入れ墨彫りに行こうか・・・?」私が言った
「明日にでも早速行こうか・・・?」友達が言った

 

  明くる日二人で電車に乗った
目的地は隣の県の彫り師が住む長屋
二人とも黙ったまま外の景色を見てた
こんな子供が行ったところで入れ墨なんて彫ってくれる訳がないのも
本当は分かってた
第一お金が全然なかった

 

なにより本当のところ入れ墨なんて入れたくなかった
興味がなかった
でも入れなくちゃいけないって、なぜかそう思ってた

 

「どんな模様入れる・・・?」友達が言った
「わかんない・・・」私が答えた
模様なんてどうでもよかった
何もかもがどうでもよかった
「痛いだろうね」友達が笑った
「痛いだろうね」私も笑った

 

「楽しみだね」友達が目をつむった
「楽しみだね」私も目をつむった

 

 これから自分の体に傷をつけに行く
とても大事な事に思えた
お父さんとお母さんはなんて言うのかな・・・
そんな事を考えながら少し眠った

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     お願い

 「完璧な避妊をなさりたいのですか?」
「この手術をしたらもう子供さんは持てなくなりますよ」

お医者さんが静かに言う
私は黙ったまま何も答えない
「・・赤ちゃん、可愛くないですか?」

 

少しの間診察室が静かになる  時が止まってしまったような錯覚を起こす
「もう赤ちゃん産みたくないですか?」
もう一度静かにお医者さんが言う
「はい」  私が答える

 

「まだ20代の若さです。もう一度考えて返事を下さいね」
  最後にお医者さんが静かに話した
私は黙ったまま診察室を後にした

 

  避妊が目的なんかじゃない
子供が可愛くない訳がない
子供が欲しい
たくさん欲しい
でもお酒が止まらない
お酒を飲んで子供に手を上げてしまう自分が止まらない
  この世に子供を産んではいけない女がいるとするならばそれは間違いなく私だ
この私だ

 

   お酒が止まらない
暴力が止まらない

 

 しゃべっちゃいけない
助けを求めてはいけない
勝たなければいけない
負けちゃいけない
頑張らなければいけない
頑張れば必ず道は開けるはず
でも・・・
これ以上どうやって頑張ればいいの?

 

  私には秘密にしなきゃいけないことがたくさんある

 

  私にはふたをして隠さなきゃいけないことがたくさんある

 

  全部本当の事を話してしまいたい
居場所が欲しい
衝動に駆られる
全部本当の事を話してしまったら
居場所がなくなる
理性が働く

 

  神様お願い
私にお酒を飲ませないで
私に子供を殺させないで
子供を私から守って・・・
見たこともない神様にお願いした
でも私のお酒は止まらない

 

誰か助けて欲しい 

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    ごめんなさい

     何枚かの書類に署名をした
お医者さんが私の顔をじっと見つめた
何か言  眺めた
何も言いたいことはもうなかった
あと何日かしたら私は手術をする
あと何日かしたら私は赤ちゃんが産めなくなる

 

  決して手術をしたいと願った訳じゃなかった   ただ、もう他に道は残ってないと思ってた

 

 「もう一回だけ聞きます」
お医者さんが静かに言った
「子供が欲しくなったからといって再手術は出来ないんですよ」
答える事が出来なかった
頭だけ小さく下げて診察室を後にした

 

  手術の時の事はあまり覚えていない
「全身麻酔だったらよかったのに・・・・」とか
「カチャカチャ音がしてるな・・・」とか
そんな事を考えていたような気もするし
「先生やっぱりやめます!手術なんてしないで下さい!」って
叫びたかったような気もする
   両手がゴムひもみたいなので台にくくられてた
縛られてる手首を見ながら「なんで縛られてるんだろう」って
不思議だった
「頭を動かさないで下さい。麻酔薬が回って頭が辛くなりますよ」
看護婦さんが言った
なんてゆう手術だったかな・・・
何回も医者から説明を受けてるはずなのに覚えていない
卵子が通る管を途中で切除するとか言ってたな・・・
切除された管はテルテル坊主みたいにぶらさがったままなのかな
行き場のなくなる卵子はどこへ行くのかな・・・
なんで私はこんな手術してるのか な・・・

  手術はあっけなく終わった

私の体は外見変わりなかった
眠れない夜が続いた
気が付くと太陽が昇り始めていた
何日も何日もなぜか眠れなかった
何をしてその間過ごしてたんだろう
何も覚えていない
私は何を思い毎日を過ごしていたんだろう
何も覚えていない

  何日かたってやっと眠れた

夢を見た
真っ暗な所に一人でいた
真っ暗でとても怖かった
小さな女の子が見えた
真っ暗な背景の中女の子だけが見えた
女の子がすごく怖い顔で私を睨んだ
「なんでよ」女の子が上目遣いで私を睨み言った
「なんでなんよ」静かに女の子はしゃべるんだけど
その目が私にはすごく怖かった
「お母さんになれない!」
女の子が初めて大きな声を出した
大きな大きな声だった
「うるさい!」
女の子を突き飛ばした
「お母さんになれない!」
女の子はまだ叫ぶ
「うるさい!うるさい!!」
女の子を蹴飛ばして走って逃げた
逃げながら
「ごめんなさい」「ごめんなさい」と何回も何回も言った

 

  目が覚めた
目を無理矢理覚ました
「嫌だ・・・眠りたくない・・・」
両手で顔を覆った
長い時間顔を覆ったまま動けなかった
棚に置いてある酒に手を伸ばした
「抗生物質が効かなくなりますから術後はアルコール類は控えてくださいね」
お医者さんが言ってた気もする
そんな事どうでもよかった
そんな事関係なかった
私は瓶のふたをねじり開け
そのまま酒の瓶に口をつけた
「何をやってるんだろう・・・」
自問自答しながら
大しておいしいとも感じた事のない茶色い液体を飲み続けた

 

  あの女の子は誰だったんだろう
わたしの子だったんだろうか
妹だったんだろうか
その女の子を思うたび私は頭が痛くなる
頭が割れそうに痛くなる
息が止まりそうに痛くなる
叫び声が止まらないほど痛くなる
手術の時注意も聞かず頭を動かし回ったから麻酔薬が残っちゃったのかな・・・
だから私はその夢の事も女の子の事も封印してきた
あんな女の子の事なんて私は知らない
私には関係ない
消してしまおう
 小さな女の子は私の記憶から葬られた

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  あのね

    おばちゃん、あのね

 教えて欲しいことがあるの

 彫り師のおじちゃんがあばちゃんの家に初めて私を連れてった時

 おばちゃん泣いたでしょ

 なんで泣いたの?

 「毎日毎日わしの長屋を外から覗くんじゃよ・・・」

     彫り師のおじちゃんが言ったでしょ

 毎日毎日ちゃんと学校には行くんだけど

 校門の前まで行くんだけど

 なぜか門の中に入れなかったの

 毎日毎日電車に乗って彫り師のおじちゃんの長屋に行ってたの

   でもね、おじちゃんは家の中に入れてくれないの

 「こら、子供学校行け・・・」って家の中に入れてくれないの

 お台所の窓の下にずっと座ってたの

 時々少しだけ、台所の窓を少しだけそっと開けて家の中を覗いてたの

    おばちゃん、あのね

 おじちゃんの家って何個も石油のストーブがあるんだよ

 もう暖かいのにね おじちゃんの家は いつも石油のストーブが何個も焚いてあるんだよ

 あれ、なんでなの?おかしいよね

  「学校に行けって言っても 家に帰れって言っても毎日来るんじゃよ・・・」

 「朝から晩までずっと外で座ってるんじゃよ・・・」彫り師のおじちゃんが言ったとき

 「学校嫌いか?」

 「家はないんか?」

      おばちゃん言ったよね

 学校は好きでも嫌いでもどっちでもないの  家だってちゃんとあるんだよ

 「口が聞けんのか・・・・?」

      おばちゃん言ったよね

 私はちゃんと口は聞けるんだよ

 「喋りたくないんじゃったら喋らんでいい・・・」

    おばちゃん言ったよね

 喋りたい事はたくさんあったのかも知れないけど

     おばちゃん、あのね

 私は喋っちゃいけないんだよ

  「子供の来る所じゃないけん、長屋はもう来たらいかん」

 

    彫り師のおじちゃんが言ったよね

 「わかったか・・・?」

          おばちゃんが言ったよね

 

     おばちゃん、あのね

 おばちゃんの家っていい匂いがするね

  カウンターの中で黙ってご飯作ってる人がいるけどあれ誰なの?

 たくさんテーブルとイスがあるけど全部ボロボロだね  なんで新しいの買わないの?

  私が座ってるイスだってギシギシゆうし倒れそうだよ

   テレビは誰も見てないときは消さなきゃいけないんだよ・・・

 「聞いてるのか・・・?」

  おばちゃんはとても静かに喋るんだね

 「行きたくないんじゃったら学校なんて行かんでいい」

 「帰りたくない家なんじゃったらそんな家帰らんでいい」

   今まで黙ってお魚とか野菜とか切ってたおじちゃんが初めて口を聞いたでしょ

 「その代わり毎日ここへ来て飯の作り方覚えろ・・・」

   そんだけ喋ったあと一回もまた口を聞かなくなったでしょ

 ずっと黙ったままおじちゃんご飯作ってたでしょ

  おじちゃんは お口が聞けないの?

 私と同じだね

 

    小さな小さな食堂

 開け放された店の入り口

 踏切の音

 電車の音

 天井からぶら下がってるハエ取り紙

 誰も見てないのにつけっぱなしのテレビ

 ギシギシゆうイス

 染みだらけのテーブル

 包丁の音

 鈴の音

 猫の声

 

   昼下がり  古くて汚い小さな食堂

 「ここの家貧乏だね」

       初めて私が喋った

 「鈴の鳴るような声じゃね・・・」

       おばちゃんが喋った

 その後おばちゃん泣いたね

 おばちゃん、あのね

 おばちゃん、あのね

 泣いたら後で疲れるから

     泣かない方がいいよ・・・ 

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    荒 野

    もう駄目だ・・・
そう思った
もう何もかも無理だ・・・
そう確信した
決心して実家に電話した
「子供の面倒が見れない・・・少しの間
だけ子供を預あずかって欲しい・・・」
声が震えた
受話器を置く手が震えた
寝たきりの体が震えた
「ママね、すぐ元気になるから少しの間 
ばあちゃんの家に行ってて」
子供に言った
子供は何も返事しなかった
「必ず迎えに行くからね」
子供に言った
「早く元気になって」とも
「早く迎えに来てね」とも
子供は何も答えなかった
この子の顔を見られるのはこれで最後か
知れない
ボンヤリした頭でそう思った
櫛を通してやる事も出来きなくなってボ
サボサになった娘の髪をそっと震える手
で撫でたこの子を父も母もいない子にし
てしまう・・・
涙が流れ出した
 寝たきりの痩せて顔色の悪い泣いてる
目の前にして娘は何を思っていたん
だろ
 何も喋らない
正座したまま動かない
じっと私を見下ろしている
5歳の小さな小さな女の子
酔った母親に殴られ続けた女の子
生き延びるため感情を遮断してしまった
女の子
この小さな女の子が私の恋い焦がれた
私のたった一人の家族
  最後の最後まで愛してやれなかった
最後の最後まで愛し方が分からなかった
 このちいさな女の子
私がこの世に実在した たった一つの証
私は確かにこの世に実在したんだ・・・
もう少しで全てが終わる
もう少しで私が消える
 
もう一度生まれ変わることが出来るのな
もう一度女に生まれ変わって
もう一度この子を産んで
今度は大事に大事に育てたい
これでもかってゆう位愛したい
  27年間まともに何一つやり抜く事が
出来なかった
回りに嫌な思いをさせる為だけにこの世
に生を受けた
愛しい子を殴るためだけに女として生ま
れてきた
荒野を走り抜ける そんな思いを抱えな
がら 毎日子供と二人で生きてきた
  でも、そんな想いももうすぐ
消える・・・       




































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ちいちゃん

   朝起きて制服に着替える

 この頃毎日学校に行く

 セーラー服のリボンを結ぶ

 鏡を見る

  3日前におばちゃんが髪を黒く染め直してくれた  私の髪はもう茶色くない

 「ほら、この方がずっと可愛い」

     黒くなった私の髪を見ておばちゃんが言った「可愛くないよ 変だよ」

海苔が張り付いてるおにぎりみたいだと思った

 「子供は可愛い」

 おじちゃんが言った

 「本当はお前も可愛い子なんじゃよ」

 お鍋を覗きながらおじちゃんが言った

  「おじちゃんも、おばちゃんも今頃お店の掃除してるのかな・・・」

 そう思いながらもう一度鏡を見た

 目をつぶってイメージしていく

 「笑顔」

 「おしゃべり」

 「ふざける」

 「遊ぶ」

目をつぶって中学生をイメージしていく

「よしっ!」

 を開ける

 鏡に元気で明るい中学生が写る

 「よしっ!」

 完璧だ

私は元気で明るい女の子

 私はいつも笑顔の女の子

  階段を下りてお父さんとお母さんの部屋を覗く   お母さんが動かない

 部屋中お酒の匂いがする

 服を着たままお母さんが倒れるように眠ってる

 お母さんにお布団をかけて小さな声で

 「行って来ます」と言う

 お母さんはピクリともしない

 靴を履いて学校に行く

 

   お弁当の時間になって先生がパンをくれる

 「あのね、先生」そっと先生を見上げる

 「お母さんが体しんどいみたいだから家に帰っていい?」先生に尋ねる

 「先生も一緒に行こうか?」先生が言う

 「一人で大丈夫です」私が言う

  今からおばちゃんの所行くんだもん

 先生がついてきたら邪魔だよ

 先生が心配そうに私を見る

 

「先生、パンいつもありがとう!!」元気にお礼を言う

 「頑張れよ!!」先生が大きな声で言う

 

そんな事、先生に言われなくったって頑張ってるよ

 

「失礼しま~す」元気に挨拶して学校を飛び出した

 走って駅に向かった

 途中のゴミ箱で先生にもらったパンを捨てた   電車を降りた   走った 

 パン屋の赤い看板を過ぎたらおばちゃんの家がある    走った

 おばちゃんの食堂のいい匂いがする

 そっと店の中に入る

 お客さんがまだたくさんいた

 作業服を着たお客さんが私を呼んだ

 

「おい、子供。お前まだ飯食っちょらんじゃろ」

 

カウンターに並んで一緒にご飯を食べた

 

 私はここでは名前が無い おじちゃんもおばちゃんも、そしてお客さんも

 みんな私のことを「おい、子供」と呼ぶ

  お客さんと一緒にお魚を黙って食べた「なあ、子供お前酒臭くないか?」・・お客さんが言った

 「この子 時々酒臭いんよ・・・」おばちゃんが言った

 

 だって、昨日の晩お母さんと夜中までお酒飲んでたんだもん

 「お母さんの事好きだったら一緒にお酒飲んで」っていつも言うんだもん

 一緒にお酒を飲んだら「いい子だね」って言ってくれるんだもん

 「なんも喋らんけんね・・・この子は・・・」おばちゃんが言う

 お客さん達が黙る

 おばちゃんも黙る

 おじちゃんは元々黙ってる

 

 一人のお客さんが

 「昼間から酒の匂いさせてるとは おやっさんみたいな子じゃな」と言った

 「小さなおやっさんだな」みんなが言った「ちいさなオヤジのちいちゃんだな」誰かが言った 私はその日から名前が出来た

  ちいちゃんと言う名前が出来た

 「私はちいちゃん」

 そう思いながら魚の目玉を口に入れた

 「昨日たくさん酒を飲んだから頭が痛いな・・・・」

 

 そう思いながら魚の目玉を舐め続けた

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どうして

   どうしてこんなに頭が痛いんだろう
どうして血管が膨らんで爆発しそうなくらい体が燃えるんだろう
どうしてさっき食べたお粥を全部吐いちゃうんだろう
  三日前からお布団にずっといる
「風邪」っておばちゃんが言った
「お医者さんに来てもらおうな」っておじちゃんが言った
 
 焼けた畳
二階の狭い部屋
下の食堂からいい匂いがする
腰高窓
西日しか当たらない
カーテンがない
その代わり格子がズラッと入ってる
黄色の布を買ってこよう
早く元気になってカーテンを作ろう
土壁が剥がれてる汚い部屋だけど
黄色はお天道様の色
きっとこの部屋も明るくなる
おばちゃん喜んでくれるかな
でも
なんか変なの
おじちゃんが連れてきてくれるお医者さん
あの先生が打ってくれる注射ね
なんだかよくわからないけど
ワーって叫び声が止まらなくなるほど苦しくなるの
 
嫌だ 嫌だ 嫌だ
血管がちぎれちゃう
腕を押さえる
怖い 怖い 怖い
体がちぎれちゃう
自分の体を押さえ込む
頭の中が爆発する
鼻血が止まらない
口の中が乾いて声が出ない
意識が遠のく
意識が遠のく・・・
 
声がする
「親に構われん子は簡単じゃな」
「この子だったら仕込みがいもあるわな」
「この土地一番の売り子になるわな」
「そりゃ、無理じゃろ」
おじちゃんの声
おばちゃんの声
お医者さんの声
 
おじちゃんとおばちゃんに出会った日から三年の月日が流れてた
私は16歳になってた
高校一年の夏休みだった
 
意識がまだハッキリしない
みんなの言ってることが何なのか分からない
意識がまた遠のく
「逃げなくちゃ」
それだけしか思わなかった
 
 出入り口のふすまの方に這って行った
ふすまの方に行かなきゃいけないのに
なんで体は押入の方に動くんだろう
「そっちじゃない、そっちじゃない!」
自分に命令する
ふすまを開けなきゃいけないのに
なんで和箪笥の引き出しを私は引っ張ってるんだろう
思い通りに動かない
頭と体がバラバラの動きをする
「なんなのよ・・・これは・・・」
這いつくばったまま三人を見上げる
「量が多いんちゃいますか?」おばちゃんが言う
「まだ子供じゃけん、もうちょっとしたら慣れるやろ」おじちゃんが言った
  布団に戻ろう
布団がない
金魚がいない
窓がない
何も無くなった部屋
そんなはずはない
布団を探さなきゃ・・・
金魚にご飯あげなきゃ・・・
意識が遠のく
帳簿が目に入る
鉛筆が目に入る
 
お店が終わった後おばちゃんがいつもつける茶色い帳簿
そろばんを弾く音が私は大好き
おばちゃんが大好き
 
震える手で鉛筆を握った
太ももに鉛筆をさした
やっぱり痛くない
これは夢なんだ・・・
早く布団に入らなくちゃ
鉛筆を抜く
血が噴き出す
鼻から出る血
足から出る血
夢の中でも血は赤いんだね・・・
 ねぇ、おじちゃん おばちゃん・・・
 どうして、幸せって思う時間は長く続かないんだろう
  あれから何年もの時が流れるのに
どうして私の体は健康にならないんだろう
  どうしておばちゃんは刑務所の中で死んじゃったんだろう
 
どうして
どうして・・・
 
私には分からない事が多すぎる
 おじちゃん、どこへ行っちゃったの
おじちゃんお願い 帰ってきて
 
私には分からない事がたくさんあるの
頭がおかしくなりそうだよ
心が滅茶苦茶になりそう    だよ・・・
 
おじちゃん、おばちゃん
どうしても教えて欲しいことが一つだけあるの
 
おじちゃんとおばちゃんは
本当は私の事が嫌いだったの・・・?
                
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   狂っていく
何かが少しずつ狂っていく
何もかもが少しずつ狂っていく
「この家には幽霊がいるんだよ」狂ったように酒を飲み
全身ガタガタ言わせてお母さんが言う
  お金を使い込まなければ何者かに征伐をうけるのか 
  お父さんは博打にのめり込んでいく
  大きな菜切り包丁を振りかざし、
どこにもいてない人間を相手に喧嘩をする食堂のおじちゃん
  「お金は裏切らんけんね・・・」にやりと笑ってその後訳の解らない事を喚きながら算盤を壁に投げつける食堂のおばちゃん  
狂っていく

 

    目の前で愛しい人たちが
少しずつ
でも確実に
狂っていく

 

     いつも洗い立ての洗濯物 お日様の匂いがする母だった
    ヨチヨチ歩きの私を知り合いに自慢して歩く子煩悩な父だった

 

口下手だけどいつも私を守ってくれる
寡黙で優しい    育ての父だった

 

    人間真面目にさえ生きてれば
それだけで幸せなのよ、と優しく笑う
商売下手な    育ての母だった

 

     どこに助けを求めればあの時よかったんだろう
    どこに助けを求めれば愛しい人は狂わずにいられたんだろう

 

 普通にこの世に生を受け
普通に毎日を送り
普通に人生を歩み
平凡が一番幸せと笑う人たちが
何か大きい力に飲み込まれていくかの様に
少しずつ確実に狂っていく

 

 狂いを修正しようと
色々な事をした
色々な努力をした
狂いを修正することだけに
全身全霊を注ぎ込んだ

 

 でも
全て無駄に終わった
脱力感だけが私を支配した

 

 子供の私には何も出来なかった
子供の私には理解出来ないことが多すぎた
子供のまま年だけが増えていく
見た目は35歳の
でも中身は恐ろしい程、幼稚な
何もかもが未熟な
それでも母として生きることが許される・・・
一番狂っているのは
きっとこの私なんだろう

 

 
    酒に狂うお母さん

 

博打に狂うお父さん

 

覚醒剤に狂うおじちゃとおばちゃん

 

 みんな、みんな普通の人だった
特別な人なんて誰一人いなかった
みんな普通に毎日を生きていた

 

 何かをきっかけに
急速に
酒は
薬は
ギャンブルは
確実に
普通に暮らす人たちを蝕んでいく

 

その家族達を蝕んでいく

 

 私の愛してる人たちが
私の目の前で壊れていく

 

 誰かお願い・・・
私の大事な人たちをどうか助けてあげて・・・

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        どうして 

    どうしてこんなに頭が痛いんだろう

 

    どうして血管が膨らんで爆発しそうなくらい体が燃えるんだろう

 

    どうしてさっき食べたお粥を全部吐いちゃうんだろ

     三日前からお布団にずっといる

 「風邪」っておばちゃんが言った

 「お医者さんに来てもらおうな」っておじちゃんが言った

      焼けた畳

 二階の狭い部屋

 下の食堂からいい匂いがする

 腰高窓

 西日しか当たらない

 カーテンがない

 その代わり格子がズラッと入ってる

 黄色の布を買ってこよう

 早く元気になってカーテンを作ろう

 土壁が剥がれてる汚い部屋だけど

 黄色はお天道様の色

 きっとこの部屋も明るくなる

 おばちゃん喜んでくれるかな

     でも  なんか変なの

 おじちゃんが連れてきてくれるお医者さん

 あの先生が打ってくれる注射ね

 なんだかよくわからないけど

 ワーって叫び声が止まらなくなるほど苦しくなるの

     嫌だ 嫌だ 嫌だ

 血管がちぎれちゃう

 腕を押さえる

 怖い 怖い 怖い

 体がちぎれちゃう

 自分の体を押さえ込む

 頭の中が爆発する

 鼻血が止まらない

 口の中が乾いて声が出ない

 意識が遠のく

 意識が遠のく・・・

     声がする

 「親に構われん子は簡単じゃな」

 「この子だったら仕込みがいもあるわな」

 「この土地一番の売り子になるわな」

 「そりゃ、無理じゃろ」

 おじちゃんの声

 おばちゃんの声

 お医者さんの声

 

    おじちゃんとおばちゃんに出会った日から三年の月日が流れてた

 私は16歳になってた

 高校一年の夏休みだった

 意識がまだハッキリしない

   みんなの言ってることが何なのか分からない

 意識がまた遠のく

 「逃げなくちゃ」

 それだけしか思わなかった

 出入り口のふすまの方に這って行った

 ふすまの方に行かなきゃいけないのに

 なんで体は押入の方に動くんだろう

 「そっちじゃない、そっちじゃない!」

 自分に命令する

 ふすまを開けなきゃいけないのに

 なんで和箪笥の引き出しを私は引っ張ってるんだろう

 思い通りに動かない

 頭と体がバラバラの動きをする

 「なんなのよ・・・これは・・・」

 這いつくばったまま三人を見上げる

 「量が多いんちゃいますか?」おばちゃんが言う

 「まだ子供じゃけん、もうちょっとしたら慣れるやろ」おじちゃんが言った

 布団に戻ろう

 布団がない

 金魚がいない

 窓がない

 何も無くなった部屋

 そんなはずはない

 布団を探さなきゃ・・・

 金魚にご飯あげなきゃ・・・

 意識が遠のく

 帳簿が目に入る

 鉛筆が目に入る

 

   お店が終わった後おばちゃんがいつもつける茶色い帳簿

 そろばんを弾く音が私は大好き

 おばちゃんが大好き

 震える手で鉛筆を握った

 太ももに鉛筆をさした

 やっぱり痛くない

 これは夢なんだ・・・

 早く布団に入らなくちゃ

 鉛筆を抜く

 血が噴き出す

 鼻から出る血

 足から出る血

 夢の中でも血は赤いんだね・・・

 

    ねぇ、おじちゃん おばちゃん・・・

 どうして、幸せって思う時間は長く続かないんだろう

 あれから何年もの時が流れるのにどうして私の体は健康にならないんだろう

 どうしておばちゃんは刑務所の中で死んじゃったんだろう

    どうして

 どうして・・・

私には分からない事が多すぎる

 おじちゃん、どこへ行っちゃったの

 じちゃんお願い 帰ってきて

    私には分からない事がたくさんあるの

 頭がおかしくなりそうだよ

 心が滅茶苦茶になりそうだよ・・・

 おじちゃん、おばちゃん

 どうしても教えて欲しいことが一つだけあるの

 おじちゃんとおばちゃんは

    本当は私の事が嫌いだったの・・・?

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 怖い

     打たれた頬を押さえながら娘がうずくまる
うずくまったまま娘が私を見上げる
驚き・恐怖・怒り・悲しみ
色々な思いの入り交じっている目だ
雨の中置き去りにされた子犬の目だ
何も言わず叩かれた頬を押さえながら
私をじっと見続ける

 立ちすくんだまま動けない
娘を叩いた右手がジンジンひびく
私も娘をじっと見下ろす

 

 静寂の中
見つめ合う
私と娘
でも昨日までの私たちじゃなかった
見つめ合う
そんな優しい雰囲気なんかじゃない
「果たし合いだ・・・」
そう思った
私の体から酒の匂いがした

 

 こんな日がいつか来るような気がしてた
こんな日が必ず来ると心の奥底で確信してた

 この子が産まれた時から始まってた気がしてならない

 

 主人が「行ってきます」って職場に行った
主人が「ただいま」って家に帰ってくるのが当たり前だと思ってた

 

 「行ってきます」と
「ただいま」は
ワンセットだと思ってた

 

 主人が私の全てだった
主人が私の生き甲斐だった
主人が大好きだった

 

 「行ってきます」は聞いた
でも
「ただいま」は聞いてない
この先ずっとずっと聞くことはない

 

 お腹の中に一つの命が宿ってた
私のお腹の中に一つの命が誕生してた

 

 「この子がいてくれてるから生きていく事が出来る」
そう思う裏側には
「この子さえいなければ大好きな主人の所に行けるのに」
そうゆう思いが隠されていた

 

 一人で子供を産み
一人で子供を育てる
「この子がいてなかったら私も死んでますよ」
そう笑う裏側には
「この子さえいてなかったら私も死ねてたのに」
そう嘆く心が隠されていた

 

 認めたくなかった
そんな自分の思いは認めたくなかった

 

 私は毎日娘と一緒に暮らしながら
愛しい気持ちを育て上げてきた
娘を愛しいと思う気持ちだけを育て上げてきた

 

 「若いのにしっかり子供を育てるお母さん」
私を見てみんなが誉める

 

 そんなんじゃない
そんなんじゃない

 

 愛しさの裏側には
憎しみがある

 

 私は娘を愛してる
でも
私は娘をずっと憎んでた

 

「あんたさえいなければ・・・」

 

 娘に何の罪はない
わかってる
わかってるのに
お酒が私の理性を奪う
私の隠さなきゃならない汚い部分を
お酒が表に出そうとする

 

 怖い 怖い 怖い

 

 この子を傷つける事を私は絶対言ってしまうだろう

 

 怖い 怖い 怖い

 

 喋っちゃいけない   誰か私を黙らせて

 

 理性が飛ぶ
弱い自分が浮き彫りになる

 

 「あんたなんか・・・・」
「あんたなんか・・・・」
「あんたなんか、いらない!!」

 

 娘が瞳を大きく見開いて私を凝視する

 

 黙れ 黙れ 黙れ
自分に言い聞かす

 

 黙れ 黙れ 黙れ
必死に自分に呪文をかける

 

 止まらない
娘を傷つける私が止まらない
なんとしてでも止めなければ
どうやったら止まる
何をしたら自分を止めることが出来る

 

 もう駄目だ
大きな包丁を取り出した
両手でしっかり握りしめた

 

 今まで黙り続けてた娘が初めて喋った

 

「ママ・・・・私を殺さないで・・・!」

 

 殺すわけがない
あなたを殺すわけがない

 

 私の体からたくさんの血が飛び散った
天井に飛び散る血
壁に飛び散る血
私の顔に飛び散る血
そして
娘の顔にも血は飛び散った

 

 私の血で娘の顔が赤く染まる
娘の顔がボンヤリしてくる

 

 気を失う瞬間
「主人に会える」
そう思った

 

 血だらけの私は
きっと笑っていたんだろう戻る 


 会いたくて

    生きているのか
死んでいるのか
解らない

 

 この世に存在してるのか
本当に実在する自分なのか
解らない

 

 誰かが見てる夢の中の
登場人物なだけなのかも知れない
普通に過ぎていく一日一日が
本当は誰かが見てる夢なのかも知れない

 

 現実感がない
生きてる感じがしない
生活してる実感がない
何を見ても何を聞いても
現実感がない・・・

 

 透明になっていく感じがする

 

 人に好きになってもらっては困る
好きの裏には嫌いがある

 

 人に嫌われるのはもっと困る
邪魔をされる
日常生活に支障をきたす

 

 目立ってはいけない
目立ってはいけない
いてるのかいてないのか
解らないくらいの存在が一番いい
生活しやすい
影を潜めて生きるのが
一番無難だと思う
だから透明になりたい

 

 でも
私はここにいるよ」って
大きな声で叫びたい気持ちもある
「ここにちゃんといてるんだよ」って
大きな大きな声で叫びたい時も本当はある

 

 でも
そんな事しない
目立つと困る
ろくな事がない
好かれても嫌われても困る
「あら、いたの?」と
そう言われる自分でいたい
影のようにひっそりと生きる自分でいたい

 

 毎日寝る前に娘が言う
「私ね、ママに会いたくて産まれてきたんだよ」
娘の頭を撫でながら私が言う
「ママもね、あなたに会いたくてオギャーって産まれてきたんだよ」
「ママ、知ってる?」娘が言う
「あのね、赤ちゃんってね、このお母さんの子供になりたいなぁって神様に頼むんだよ」
「そしたらね神様がロケットに入れてくれるの」
「ロケットに乗って会いたいママのお腹に入る旅をするんだよ」
「長い長い冒険の旅をするんだよ」
「やっとママを見つけて嬉しくて嬉しくて、そしてお腹の中に入っちゃうんだよ」
「赤ちゃんは旅の疲れで眠っちゃうんだよ」
「お腹の中で10ヶ月眠ってる間にね、
神様の事もロケットの事も旅の思い出も全部全部忘れちゃうんだよ」

毎日繰り返される会話
お布団を掛けて電気を消して
暗い部屋の中毎日繰り返される娘の話
「赤ちゃんは旅をして大変なんだね」私が言う
「だって大好きなママに会いたいんだもん」娘が言う

 

 可愛そうだと思う
どうして娘は私に会いにこの世に生を受けたのだろう
違うママのお腹の中に入っちゃえば
叩かれなくてすんだのに
蹴られなくてすんだのに
大事に大事に育ててもらえたのに
どうしてよりによって酒浸りの私なんかを
この子は母に選んだんだろう
赤ちゃんのお守りをしてる神様が本当にいるのなら
どうしてこの子が私を母として選んだとき
「このお母さんは子供を虐待する人だからやめときなさい」って
教えてあげなかったんだろう

 

 娘が実家に遊びに帰った
今、一週間も娘がいない
毎日繰り返されるおとぎ話が聞けない
私は猫を抱いて一人で眠る

 

 
もしかして娘は幻なのかも知れない
ひとりぼっちが寂しくて悲しくて
家族が欲しくて恋い焦がれてて
そんな私が創り上げた幻なのかも知れない
私は初めから本当はずっと一人で生活してたのかも知れない
この世にあるもの全てが
本当は私が創り上げた
私にとって一番都合のいい
夢や幻なのかも知れない

 

 私は一体誰に会いたくて
この世に産まれて来たんだろう・・・
         戻る   


   取材

 誰か娘を守って欲しい
誰でもいい
この子の命を
この子の尊い命を
酒で狂った私から
どうか
どうか
この子の命を守って欲しい

 

 大きな家にも引っ越した
ベランダから下を覗くと小さいけど住人専用の公園だって設備されてる
セキュリティ会社の警備も万全だ
駐車場には車だって何台もある
多分保育所のどのお母さんにも負けてない
完璧だと思う

 

 「愛さえあれば、お金なんて」
私はその言葉が嫌い
そんなの嘘だよ
お金がないのは首がないのと一緒だよ
お金がないからみんなしなくていい喧嘩をするんだよ
子供が怯えて泣くんだよ
「お前のお父さんなんてつまらない男だよ」
「お前のお母さんなんて文句を言うしか能がない腐った女だよ」
「お前さえいなければ離婚してるよ」
そんな事 私は知らないよ

 

 お金さえあれば・・・・
私は信じて疑わなかった

 

 色々ないきさつがあり
私の家にテレビの取材陣が来た
世間で児童虐待の問題が取り上げられるようになってた
このテレビを見た人の中で誰か一人でもいい
娘を私から救ってくれる人が現れるなら・・・
そんな思いで取材を受けた
必死で酒の愚行を話そうとした
酒が怖いと泣いて訴えた
酒の話はいいです、と何度もテレビ局の人に注意を受けた
それでも酒が酒がと私は泣いた
仕事のストレスから我が子を虐待するというシナリオのもと
カメラは回る
実際そうなのだけど
なんだか違う気もする
でも、どっちでもいい
とにかく子供さえ助かれば
私はカメラに向かって虐待行動を話す
もう酒の問題なんて関係ない

 殴った
蹴った
罵った
無視した
限りなく続く私の愚行
誰か娘を助けて
そんな思いで私は必死で喋った

 

 「どうもありがとうございます」
「いい取材が出来ました」
「放映日時は後日お知らせします」
にこやかに挨拶をされ取材陣が帰って行く
これで何かが変わるのか
どうか変わって欲しい

 

 一人の若いADが走りかけた車から飛び降りる
見送る私の方に走ってくる
私の前に立ちはだかり

 

しっかりとした声で言う

 

 とてもいい番組が出来ると思います
取材のご協力誠にありがとうございます
テレビ局の人間として深くお礼を申し上げます

 

 深く頭を下げられる
顔を上げた若い男性の目に光が走った

 

 「これからは一個人としての僕の意見です

 

僕は僕は一生あなたを許しません

 

絶対に絶対に
一生あなたを許しません

 

 もう一度頭を下げ若いADは車に乗った
走っていく車を見送り
私は深々と頭を下げた
いつまでも頭を下げた

 

 どうか
私を
許さないで欲しい
憎んで欲しい
蔑んで欲しい

 

 ただ、言い訳にもならないけど
子供を叩いて
子供を蹴って
楽しいと思ったことなんて
一度たりともなかった
いつも
いつも
泣いてた
本当 言い訳にもならないけど・・・

 

 その番組に反響があったのかなかったのか
わからないけれど
だれも娘を助けてくれなかった
娘を救ってくれる人は現れなかった

 

 同じ時期
娘が通う保育所の園長先生を中心とする
救済のチームが出来つつあった
保健所の職員さんや
児童相談所の職員さん
色々な方面の方が
そのチームに加わっていた

 

 何も知らない私は
酒を飲み続け
泣き続け
娘を助けてと
祈り続けた

 

 愚かな己を
呪い続けた             戻る 


     宝物箱

     押入の奥にある小さな木の箱

 子供が三歳になった日に   

二人で作った小さな木の箱

 初めてかなづちを持つ娘の真剣な顔

 釘が上手に打てないとむずがる顔

 指を打って痛いとべそをかく顔

 曲がった釘

 はみ出してるボンド

 ガタガタの小さな木の箱

 出来た、出来たと飛び回り喜ぶ顔

 やったぁ、やったぁと走り回る娘

 夕焼けが綺麗だった

 お家に帰ってご飯食べようね」私が言う

 ハンバーグ作って」甘える娘

 「チーズ乗せてね」首をかしげて甘える表情

 首をかしげる癖が亡くなった主人と同じだった

 愛しかった

 当に愛しかった

 して

 悲しかった

 夕日に照らされる娘の顔

 泣いちゃいけない

 「ヨーイ、ドンしよう!!」私が言う

 娘が走る

 小走りで後を追う私

 娘が「ママ遅いよ~」って振り向くまでの

 その少しの時間だけが

 唯一泣く事の出来る時間だった

 小さな木の箱がカタカタなった

 中に主人からもらった結婚指輪が入ってた

 走るたびにカタカタなった

カタカタなる音が私には

 ガンバレ、ガンバレって聞こえた

 三歳の誕生日に作った小さな木の箱

 いつもぬいぐるみが入ってた

 やわらかくてホワホワしてて大好き」

 ぬいぐるみを抱きしめて頬を寄せて娘が目をつぶる

 私はそんな娘を抱きしめて頬を寄せ目をつぶる

 木の箱にはいつもぬいぐるみがたくさん入ってた

 私が酒に狂いだした

 娘は五歳になってた

 木の箱から一つ一つ

 ぬいぐるみが消えだした

 代わりに

 パンや

 おにぎりや

 バナナが

 木の箱の中に

 ポツリポツリと増えだした

 私に気付かれないように

 押入の奥から

 毎晩毎晩

 娘は箱をそっと取り出す

 中に入ってる食料を確かめて

 安心するのかそっとうなずく

 毎晩毎晩繰り返される

 そっと娘はうなずく

 

 娘が寝入ってから

 箱のふたを開けると

 おにぎりにもパンにもカビが生えてた

 バナナは腐ってた

 ぬいぐるみは一つも入ってなかった

 傷んだ食料だけだった

 箱の隅に見慣れない小箱があった

 私にはそれが何かすぐに分かった

 涙が止まらなかった

 

その小さな箱には

 へその緒が入ってる

 私と娘がつながってた証が入ってる

 突っ伏して泣いた

 涙が止まらなかった

 明くる日も

 の明くる日も

 娘はそっと押入から木の箱を取り出す

 腐った食料がなくなってないか確かめて

 腐った食料なのにあると安心して

 小さくうなずく

 チョコンと正座する娘の横顔

 木の箱には腐った食べ物

 きっと、この箱にはこれからドンドン食べ物だけが増えていく

 きっと、生きていくためにこの子は食べ物だけを増やしていく

 

 崩れていく私

 崩れていく娘

 何もかもが崩れていく 戻る  


      ひとりぼっち

 食堂のおじちゃんとおばちゃんが泣く
鉛筆をさして血が流れ続けた私の足をなで続け
おじちゃんとおばちゃんが声を殺して泣く
私がいるとみんな泣く
お母さんも
お父さんも
おじちゃんも
おばちゃんも
みんな、みんな、私がいると悲しくて泣く
「ここにも長くいちゃいけない」
寝た振りをしてそう思った

 

 どこに帰ろう
どこに帰ればいいんだろう
私の帰る所は一体・・・
寝た振りをしながら
私は私の帰る場所を探し続けた

 

 何日か眠り続けて
やっと起きあがれるようになった
お部屋の掃除をした
金魚にたくさんご飯をあげて
裏の出入り口からそっと食堂を抜け出した
外のゴミ箱に猫がたくさん集まってた
仲良しの猫がいたので
「バイバイ」って頭をなでた

 

 電車に乗って家に帰った
さっきから足がズキズキ響きだした
痛いのかくすぐったいのかよく私には解らなかった
玄関のドアを開けた
鍵が閉まってた
仕方ないから鍵の壊れてる居間の窓をよじ登って
家の中に入った
家の鍵はずいぶん前に川に捨ててた
居間のテーブルの上にたくさんの空き瓶があった
ぜんぶお酒の瓶だった
カーテンの閉まった暗い部屋
おみそ汁の染みが付いた壁
へこんだ柱
血の跡が付いた床
破られてる私の教科書
はさみで切られたお父さんのネクタイ
小さい虫がたくさん飛んでる
枯れた観葉植物
靴を履いたまま居間の掃除をした
汚い暗い変な匂いのする私の家
誰もいない私の家

 一枚の写真が床に落ちてた
小さい私が生まれたての妹を抱っこしてニッコリ笑ってる写真
靴で写真を踏んでそのままゴミ箱に捨てた
妹がいてる家の番号を思い出して電話をかけた
「姉ちゃん、元気?」妹の声は元気だった
小さかった妹も中学生になってた
悪いことをするのが楽しくて楽しくて仕方のないやんちゃな女の子になってた
どんなんでもいい
元気で笑ってたらそれでいい

 

 隣のお父さんとお母さんの部屋を開けた
汚れた部屋の布団の上で
お母さんが寝てた
布団を掛けて「ただいま」と言った
「どこ行ってたの・・・?」お母さんが小さい声で喋った
生きてる・・・胸をなで下ろした
「友達の家で夏休みの宿題してた」嘘をついた
お母さんがまた眠った
お母さんはお酒臭かった
部屋の掃除をして居間に戻った
半分残ってるお酒の瓶を長い間ボンヤリ眺めてた
その瓶を持って二階の自分の部屋に行った
テレビで見た刑事ドラマを思い出して
太ももの傷に口に含んだお酒を「プッ」てかけた
「痛い・・・」初めて思った
「苦い・・・」お酒が口に残った

 

 どうしてお母さんはこんな苦い物をたくさん飲むんだろう
おいしくなんて全然ないのに
どうして泣きながらいつもお酒を飲むんだろう

 

 「アンタが悪いんだ」酒瓶に文句を言った
「アンタが全部悪いんだ」酒瓶を壁に向けて投げた
「アンタなんかこの世から無くなっちゃえ」涙が出た
足が痛い
おじちゃんに会いたい
おばちゃんに会いたい
金魚に会いたい
猫に会いたい
食堂に帰りたい
食堂のお客さんに「いらっしゃい」って言いたい

 元気なお母さんを返せ
お父さんを家に帰せ
足が痛い
誰に助けてって言えばいいの?
そんな人いない
誰も助けてくれない

 

 泣くと疲れるだけなのに
泣いたって時間の無駄なだけなのに
私はたくさん泣いた
途中でなんで自分が泣いてるのか分からなくなってきて
面倒くさくなってきたけど
ダラダラと泣いた
ずっと泣いた
泣いたまま眠った  
戻る 
            

「アスファルト」  

    何も考えられなかった
ある日 突然おじちゃんとおばちゃんが食堂からいなくなった
たくさんの知らない男の人たちが二人を車で連れて行った
「あれは誰?」
「警察じゃよ・・・」
「いつおじちゃんと、おばちゃんは帰ってくるの?」
誰も答えてくれなかった

毎日毎日焼けたアスファルトに座り込み二人の帰りを待った
覚醒剤という怖いお薬で私の大事な二人は壊れてしまった

小さな食堂の小さな店の前のアスファルトに毎日毎日座り込んでた
「ちいちゃん帰ってきたよ」っていつ帰って来てくれるか分かんないだもん
「いつ二人は帰って来てくれるの?」って店のお客さんに聞いても皆、黙りこんじゃうんだもの


 きつい日差し
電車の揺れる音
お豆腐を売りにくるラッパの音
蒸したアスファルトの匂い
早くおじちゃんと、おばちゃんに会いたい私の心

たくさんの怖い顔をした男の人たちが毎日食堂に出入りするようになった
色々な物を車に詰めてどこかに持っていくようになった
私はアスファルトに座り込み、ただ黙ってそれを見てた
「こら!子供!じゃまだ!!」って何回も怒鳴られた
でも私は動かなかった
ううん、動けなかった

 

そのお鍋持ってかないで
そのイス持ってかないで
その招き猫持ってちゃやだ
タンスも鏡台もなんで何もかも持ってちゃうの?
そんなの持っててもおじさん達何も嬉しくないでしょ

 

でも私には古ぼけたその道具の全部が宝物なの
だから何もかも持って行かないで・・・

どんどん何もかもがなくなっちゃう食堂
私は毎日何もする事もなく
私は毎日何も考える事もなく
ただ焼けたアスファルトに座り込む

 

 ただひたすら、おじちゃんとおばちゃんの帰りを待って       戻る 

 



  お姑さん

     最愛の一人息子を失ったこの女性は
これから何を生き甲斐に暮らして行くんだろう

 

主人の葬式の記憶はあまりないのだが

遠くをボンヤリ見つめ参列者に挨拶することも忘れ
涙さえ忘れてしまってる姑の横顔を見てそう思ったのだけ覚えてる

 

「ちいちゃんと産まれてくる子供がいるけん寂しくない」
そう言って気丈に微笑むお姑さんを毎日見てた
この人を幸せにしたいと心から思った
この人を泣かすような全ての事からこの人を守りたいと思った
自分の人生なんてどうでもいいと思った
この人の役に立つ為だったら命なんて惜しくないと真剣に思った
大好きな主人を産んでくれた人
大好きな主人を育ててくれた人
愛しい想いが次から次へと沸いてきた
この人を幸せにしたい・・・・
心の底からそう思った

 

 どうすれば人を幸せに出来るのか分からなかった
どうすれば愛してるという想いが伝わるのか術を知らなかった
幸せとか愛してるとか本当はその時点で分からなかったのかも知れない
お姑さんを守りたい
産まれてくる子を守りたい
何をしたら喜んでくれるんだろう
何をしたら笑ってくれるんだろう

 

何をしたら・・・何をしたら・・・

 

 朝日を受けてお姑さんが洗濯物を干してる
お姑さんのエプロン
私のマタニティドレス
お姑さんの白いシャツ
私の靴下
次から次へとお姑さんは籠から洗濯物を取り出して干していく

 

 でもその中に主人の洗濯物はもうない
私は縁側にペタリと座り主人の影を探す
「おかあさん・・・」声が出ない
「おかあさん・・・」胸が苦しい

 

 「お前はこの家の疫病神」
両親にそう言われ続けてきた
私は疫病神としてこの世に生を受けた
私は疫病神として大きくなった
疫病神を産み育てなきゃいけなくなった母はお酒にはまっていった
疫病神を食わす為に働かなきゃいけなくなった父は博打にはまっていった
疫病神が一人家の中にいると何もかもが滅茶苦茶になる

 

 私がこの家に嫁いで来なかったら
もしかして主人は死なずにすんだかも知れない
私がこの家に嫁いでさえ来なければ
お姑さんは息子を失わずにすんだのかも知れない

 

 「ちいちゃん、腹帯巻こうか」
お姑さんの声がする
「ちいちゃん、なんね?泣いたりして」
お姑さんが笑う
お姑さんに抱きついた
お姑さんが抱きしめてくれた
「おかあちゃん・・・」小さな声で呼んだ
「なんね?・・・」小さな声で答えてくれた

 

 離れたくないと思った
離れるものかと思った

 永遠の別れがその後来るとは思わなかった

 「おかあちゃん・・・」「おかあちゃん・・・」何回も何回も呼んだ

ずっと、ずっとこの人の娘でいたい 心からそう思った
その為だったらなんだってする 心からそう思った

 

 お願い 私を嫌いにならないで・・・・ 戻る      


 靴ひも

 「いってきます」

 靴をはく

上がりかまちに座って

 丁寧に靴ひもを結ぶ

 「ちいちゃん」

 お姑さんが小さな声で呼ぶ

 「なあに?」

 「なあに?おかあちゃん?」

 靴ひもを結びながら

 顔だけ振り向きお姑さんを見上げる

 「何かして欲しい事ないか?」お姑さんが言う

 「なんでも言っていいんよ」お姑さんが言う

 して欲しい事なんて何一つない

 ただずっと私の傍にいてくれるだけで

 それだけで私は本当にそれだけでよかった

 「じゃぁ、保育所のお迎え行って欲しいな」

 「今日の晩ご飯 この家で一緒に食べさせて欲しいな」

少し考えて私は答えた

 「ちいちゃん」

 お姑さんが私を呼ぶ

 「いってきます」

 玄関のドアを開け

 車にエンジンをかける

 窓を開ける

 「早く帰ってくるからね」

 見送るお姑さんに声をかける

 ベビーシートに座った娘の頭を

 そっと撫でるお姑さん

 いつもの朝だった

 いつもの朝だと私だけが思ってた

 毎朝近所に住むお姑さんの顔を見てから職場に行く事が

 毎朝お姑さんの顔を見ながらコーヒーを飲む事が

 私の一日の始まりだった

 バックミラーに映る姑の姿がだんだん小さくなる

 角を曲がったところで姑の姿も映らなくなった

 「今日はおばあちゃんがお迎えに来てくれるよ」

 隣の席に座る娘に声をかけた

 「ダーダー」とお喋りしながらおもちゃを振り回す娘

 仕事が終わったら花を買って帰ろう

 お姑さんが一番好きなしゃくなげの花を買って帰ろう

 どうしてあの時気付かなかったんだろう

 決していつもの朝ではないことに

 どうしてあの時気付く事が出来なかったんだろう

 最愛の一人息子をある日突然失った姑が

 少しずつ変わっていく事実に

 どうして私は気付くことすら出来なかったんだろう

 あの朝だって

 

そんなに職場に急ぐ必要なんて本当はなかった

 もう一回靴ひもをほどいて

 もう一回家に入って

 姑の話を聞く時間くらい本当はあったのに

 どうして寂しそうな姑を独りぼっちにしたんだろう

 家族を幸せにしたいから

 家族に快適な生活をさせたいから

 家族の為に仕事をする

 表向きはそうだった

 でも 仕事に全てを

  私の 全てを

 私は仕事にはまり込んでいた

 仕事をしてる時だけが

 価値のある存在の人間に自分がなれたと思えてた

 やればやるだけ成果の出る仕事の魔力に私は溺れきっていた

 家族を養うための手段として仕事を捉える事が出来なかった

 仕事を仕事として捉える事が出来なかった

 

 仕事をしてる時だけが生きてていい資格をこの手で掴んだ気がしてた

 仕事への依存が始まりかけていた

 どうして気が付かなかったんだろう

 一緒にそばにいることが

 なにより一番大切だということに

 どうして私は気付かなかったんだろう

 どうしてあの時何か話したそうな姑の

 どうして私は話しすら聞くことが出来なかったんだろう

 必要とし

 必要とされる

 それが全てだと

 に何もないんだと

 どうして私は気付かずに

 依存の対象物をコロコロと変えてははまっていく

 そんな生活を繰り返して生きてきたんだろう

 お姑さん

 私ね 断酒会って所に 今、入ってるんだ

 ここでもう少し頑張ってみるから

 おかあちゃんの所へは

 まだまだ行けそうにもないけど

 一生懸命頑張るから

 おかあちゃん もう心配しないで・・・

 私があの朝 聞くことの出来なかった

母さんの話を

 私の代わりに 

 あなた 聞いてあげて

 最後まで きちんと

  聞いてあげて   戻る