白崎海岸
あいさつ 「陣痛」 和歌山断酒道場 道場長 上村千賀志 お陰様で当道場も創立45周年を迎えることが出来ました。これも歴代の由良町長様はじめ、行政、医療関係の皆様方、断酒会の皆様方、同ご家族の皆様方、さらには後援会諸兄方のご協力、ご支援によるものであり誠に有難く、心より厚くお礼申し上げます。 私が当道場に入所したのは、昭和52年10月末。38歳になっていました。それまでの私は、精神科に7回入退院を繰り返し、自殺未遂も3回ある重症のアルコール依存症者になっておりましたが、全くそのことに気付かず、「自分は暴力もないし、飲んだら寝るだけで、迷惑も掛けていない。仮にアルコール依存症になっていても、軽い方でないか。」などと勝手な考え方をしていました。 あるご家族の体験談のなかに、「私の主人は、私たちと違う世界にいる」との発言がありましたが、私も全く同じでした。その私を現実の世界に引き戻してくれたのが道場に於ける反省だったのです。「人は道によらないと何処にも行けない」と言います。ところが過去の私は、俺は俺の道を行くで、独断と偏見に満ちた迷い道、目覚めなき道を歩いていたのでした。先哲も、「道に迷ったらやたら歩き回らずに来た道を戻れ」とか、「来た道が分かれば行く道も分かる。いる処が分かれば行く処も分かる」と、教えておられます。正に故児玉先生の反省・感謝・報恩の教えは断酒の道でありますが、新生への道、成長の道、癒しの道、仕合せの道、第二の否認の解決の道でした。 さて、まず反省ですが、反省の第一目的は「已を知ること、現実に直面すること」であると言います。私も、過去の悪行をあれこれ反省する中で、徐々に親、兄弟と同じ現実の世界に戻ってきたのです。そこで見たものは、家族の地獄でした。特に年老いた母親の「もぅお母さんは限界だよ、これ以上は辛抱できないよ、助けておくれ」と、その悲痛な叫び声が聞こえ、その悲惨な姿が見えてきたのです。その苦しみの地獄の申でも必死に私を支え、励ましてくれている姿のなんと貴く痛ましいこと……。「人を苦しみから救うのは慙愧の心である」と申します。慙愧の心とは申し訳ないことをした。人として恥ずべきことをしたという心でしょぅが、もし慙愧の心がないならぱ、それは人と言えない、畜生であると言ぅのです。この心に目覚めてからといぅものは、もういたたまれない気持ちで、これは正に私の新生への陣痛でした。この陣痛こそが私を積極的にし、目覚めさせ、救ってくれたのでした 目覚めてみれば、有難いことだけの中で、仕合せいっぱいの中で生かされている自分がありました。かくして感謝の心にも目覚め、精神も安定し、報恩、「お返しの人生」が始まったのです。「人はしてやっていると思うと見返りを求め、させて頂いていると思うとお返しをする。」と申します。 今後も大恩人である故中村禰次郎先生、自分の命までも削って私を助け目覚めさせてくれた母親始め、多くの恩人方、断酒会の仲間の皆様方、ご家族の皆様方のお支えにより仕合せな断酒生活をさせていただいていることを忘れずに精進する所存ですので何卒皆様方、今後ともよろしくご指導、ご支援、ご鞭燵の程、切にお願い申し上げます。 有難う御座いました。 合掌
道場趣旨
アルコール依存症者(酒害者)はなぜ冶り難いか。
入院治療を受けて一応アルコール依存症は治ったように見えるけれど、実生活に復帰すると幾日もたたないうちに又もや呑み始め、もとの木阿弥となる酒害者の心理状態がさっぱり判らぬとなげく家族の者、一体これはどうしたことか。「ぬれた者、雨をもおそれず」とか、再三酒に溺れてきた者は、殆ど良心を失いかけた、いわば精神的に不健全で惰性的な生活が続いています。そのために、自分の状態を認めようともしません(否認)。故に断酒する気持ちなど全くありません。たとえ本人に断酒する気持ちがあったとしても直ちに良心的行動が実行できるとは限りません。従来の精神的不健全な生活は当分続きますので、乏しい良心ではこの惰性をくいとめることは不可能でしょう。病院は患者からアルコール分を除き、酒によってバランスの乱れた部分を治療する、いわば離脱症状から抜け出るまでの冶療で、その後における精神力の育成についてはかなり密度の高い指導と永い時間を必要としますので、他の精神病患者の冶療を専門となさる病院では到底そこまでの面倒は不可能かと存じます。そこで病院から実生活に入るまでの準社会生活としての予備期間が必要となってきます。この間に正しい日常生活の修練により、心身の健康の回復をはかり、断酒は自分の生活の上に必要なのではなく、断酒あってこそ、初めて自分が生かされていく真実を悟り、再びアルコール分に接することなく、一生断酒の決意が立証されて初めて家庭に、杜会に復帰できるような心の変革こそ、和歌山断酒道場の開設の趣旨であります。◎ 道場における指導のあり方当道場長は過去に長年酒害に苦しんだ体験者であります。専門医師の指導を受けつつ、自らの体験をも生かし、口で指導するのではなく、酒害者と生活を共にしながら、実践躬行、日常生活の中において指導してゆきます。以下は指導方法です。一、生活環境の刷新断酒更生をいかに心に誓って退院しても、日常生活が過去と何ら変わるところがないならば、過去の悪習慣から脱出することは容易なことではありません。 過去の悪癖を脱ぎ捨てるためになさなければならぬ反省と懺悔の生活は、雑音の入らぬ良い生活環境下で、心身共に一新した気持ちで出発せねばなりません。この点、和歌山断酒道場は民家から離れること2キロメートル。県立自然公園地域に指定されている由良町大引白崎海岸に建設されており、澄み切った青空、緑の山々、濁りを知らぬ海等々、太平洋を眼下に見下ろす閑静な自然環境は、断酒道場として所を得ています。
ニ作業療法
断酒の前にまず健康回復。健全なる体力において初めて健全なる精神力が芽生えるものです。型は内容を形成すると申しますように、理屈よりも、先ず何事も自分で実行する訓練が必要です。断酒の決め手となる手段、方法はありません。故に指導は受けても教わるものではなく、自分自身で見いだすものです。そのため、農耕を主とした作業により、先ず大自然の恩恵を身をもって感じとり、土に親しみ、額に汗して土を生かしていく中に自分で編み出すものです。また、大自然が教えてくれます。
三、集団生活
酒は一人ではなかなか止めることはできません。2人より3人、3人よりも4人と、集団心理から、生まれる精神力は、単独の場合に対して倍加されます。また自分の欠点には気づかなくとも、他人の欠点には不思議によく気づくものです。互いに似通った多くの欠点を持っていますから、相手の欠点を見ることで自分の欠点にも気づくことができます。また、規律正しい共同生活は、個々の気ままは許されません。そのために過去の生活態度が自然に改められ、人の和を図るために、謙虚な言語、行動が身についてきます。 要するにアルコール依存症者とは「酒に溺れる事によって本来の自己を見失った人」のことであります。それ故に、「自分が酒のために犯した数多くの罪は、酒に罪なく、罪は呑んだ自分にある」ことを先ず自認することです。長年身にしみた悪習癖はそう簡単には治らないものです。根気よく、日常生活の中で、自分の欠点を一つ一つ改善してゆくと同時に自己の長所を完全に生かしてゆくことが、酒から遠ざかり、断酒への道を一歩一歩前進することにつながります。 当道場の最終目的は、ただ単に断酒することのみに満足するものではありません。尊厳なる人格を創ることが目的です。すなわち、自己本来の姿に返ることです。この時は既に意識せずして断酒に成功しているときであります。 当道場は全日本断酒連盟と密接な連絡をとり、酒害者の断酒更生に尽力しております。
和歌山断酒道場規則
1、起居容儀(ききょようぎ)
2、日課
3、衛生
4、その他 |
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和歌山断酒道場入所規約
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作業風景